人生を楽しめるかは一歩上の思考に進めるかどうかで決まる

「死にたい」

誰でも一度は思ったことがあるはずです。

周りからいじめられて死にたい人、仕事がうまくいかなくて死にたい人、障害を持ってしまって死にたい人、帰り道にふと死にたいと思う人。

同じ”死にたい”でも、思う場面や程度は人それぞれです。

こんなことを書いている私も例外ではなく、かつては死にたいと思い続けていた時期がありました。といっても、気分とは扱いづらい代物で今でもたまに思ってしまいますが、前ほどではありません。

死について色々と考えてきた私ですが、確実に一つ言えることがあります。

それは「誰でも、誰ひとりとして例外なく、いつかは死んでしまうということ。」です。

当たり前といえば当たり前のことなんですけれど、この当たり前のことがとっても大事なんです。

人生を楽しめるかどうかはこの思考の一歩先に到達できるかどうかで決まると思っています。

今日は、かつて死にたいと思い続けていた私が人生を楽しめるようになるまでの話を少しばかりしたいと思います。

私個人の考え方がふんだんに入っているので、共感できない人は読むのが嫌になるかもしれませんが、同じ状況に陥ってしまっている人に少しでも参考になればと思います。

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「死にたい」から
「どうして生きているんだろう」まで

つかむ

私が病気で床に臥していた時なんかは、時計の分針が進むたびに「死にたい」と思っていました。頭から離れませんでした。どちらかというと「消えたい」という表現の方が近いのかもしれませんが、気が付けばそんなことばかり考えていました。

どうすれば楽に死ねるのかばかり考えていましたが、結局は恐怖が勝ってしまいなかなか行動には移せませんでした。

話すのがとても恥ずかしい話ですが、一度だけ感情が超えてはいけないラインをぴょんと飛び越えてしまい、一週間ほど入院した経験があります。入院した初日と2日目の記憶はあまりありませんが、とても苦しかったのを覚えています。

私はここで思いました。「人間は簡単に死んでしまう生き物ではあるけれど、自分から死ぬのは簡単ではない生き物だ。」と。

それからというものの、「死にたい」よりも「どうして生きているんだろう」ということ思考回路を割くようになりました。

気分が重いことには変わりありませんが、このあたりで少し楽になったのを記憶しています。

「どうして生きているんだろう」から
「どうせ死ぬのなら死ぬまで楽しめばいいや」まで

そして私なりに生きている理由を考え続けましたが、結局答えは見つかりませんでした。しかし、発見はありました。

一度、視点を少し遠めにして宇宙規模で考えてみたんです。

すると、宇宙の営みの中での人間の営みなんてほんの些細な塵みたいなものだなあ、ということに気が付きました。そして宇宙の存在そのものにも意味がない事にも気が付きました。

こう考えてみると、人間が生きている意味なんて、またしてや自分が生きている意味なんて考えたって見つかるはずがないんですよね。

そして、生きている人間には平等に死が訪れます。ならば死に急ぐ必要なんかないんじゃないかと思えるようになったわけです。

人間自体の生きている意味がなければ、自分の生きている意味もない。そして、どうせ人は死ぬ。

こういう考えに行きついた私は、「じゃあ、いつ死んでもいいや」と楽な気持ちでいられるようになりました。

そして、「どうせ死ぬのなら死ぬまで楽しめばいいや」と思えるようになりました。

「どうせ死ぬなら○○」の続きで一歩上の思考に進めるかが大事

歩いてくる道は違えど、多くの人は「どうせ死ぬなら」という一種の思考の道を通ると思います。

この「どうせ死ぬなら」という考え方の先には、悲観的な考え方と楽観的な考え方の二つがあります。

もう少し詳しく説明させてもらうと、「どうせ死ぬなら何をやっても無駄だ」と悲観的な考え方と、「どうせ死ぬなら何をやってもいいや」という楽観的な考え方の二つがあるわけです。

私が思うに、「どうせ死ぬなら何をやってもいいや」という楽観的な考え方は「どうせ死ぬなら何をやっても無駄だ」という悲観的な考え方を包括しているんだと思うんですよ。

言うなれば、ペシミスト(悲観主義)を包括したオプティミスト(楽観主義)。こういった一歩先の思考に進めるかどうかが、この先の人生を楽しめるのかどうかを決めるんじゃないかと。私はそう思うわけです。

私の場合「なにをやってもいいや」の部分は「死ぬまで楽しめばいいや」に変換されていますが、おかげで今の人生はすごく充実していて楽しいんですよね。

経済的な安定とは程遠い生活を送っていますが、それでも楽しく毎日を過ごせています。

どうせ死ぬなら好きなことをやって楽しんでから死ぬ

上を向いてポジティブに生きよう

ここまで一気に書いてきたのでうまく説明できていないと思いますが、

私が言いたいのは

「どうせ死ぬなら好きなことをたくさんやろうよ!」

「死ぬまで思う存分楽しもうよ!」

ということです。

確かに今は苦しい状況の人が多いかもしれませんが、ヒトの脳って思っている以上にドM気質にできています。どんな環境でも楽しもうと思えるようにできているはずです。

じゃないと、私がここまで人生を楽しめるようにはなっていませんからね。まあ、私の脳がドM気質なだけかもしれませんが。。。

とにかく、人には平等に死が訪れるんですからそれまで楽しみまくった方が断然お得なんです。

「何をやっても無意味・無駄」は「どうせ無意味・無駄なら何をやってもいいや」と楽観的に変換することができます。

こういった感じで、頭の中にいる悲観的な考え方をしてしまうペシミスト(悲観主義)な自分をオプティミスト(楽観主義)な自分に変えていくと、人生はおのずと楽しい方向に向かって行くかも知れませんね。

ではでは、今日はこの辺で。皆さん楽しい一日を。

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コメント

  1. ky より:

    色々考えちゃうタイプの人間ですね、
    こういう人は、勉強もできて、努力家で 素晴らしいんですけど、
    深く考えるあまり自分を追い込んで、1人で自滅しちゃうんですよね、だから、努力は努力でも
    馬鹿になる(思考を停止する)努力をしましょう。

  2. 匿名 より:

    こういう記事はメンヘラっぽくて嫌いだな。なんでもない事を大げさに言いすぎ。

    思い出そうとすると吐いたり気絶するレベルのトラウマや字を書こうとすると発作が起きて日本語が一時的に読めなくなるとかを克服したなら記事にすればいい。
    例え過去にどんな事があったとしても同情が欲しくてかわいそうな自分をひけらかす人はかっこ悪いけどね。

  3. 匿名 より:

    人間の営み~っていうのがクトゥルフにしか思えない

  4. 匿名 より:

    こじき

  5. 匿名 より:

    うつ病(患っているとは言ってない)

  6. クズ人間のために一言 より:

    お前の顔出し(仮面)動画とか見たけどさ
    ギターもあるし、髪は明るいわ、ふざけてポーズとるわ、筋トレするわ、普通にハキハキ喋れるし。なんかバンド組んでて、ただ単に遊んでて乞食活動してるようにしか思えないわ
    本当に鬱で悩んでいる人間を馬鹿にしているのか?
    動画収入と広告収入で食べていけるまでは鬱の設定で同情をもらい、乞食行為をやっていくとか人間のクズだろ。こじれたガキみたいなくっさい記事ばっか書いてさ
    そんな1年もいないでドロップアウトしたやつが鬱になんかならないから
    嫌でも我慢して我慢して続けてそれでも我慢して続けたやつが鬱になるんだろ
    もうそういう設定やめろよ
    逆に痛々しいわ

  7. ゆずぽん より:

    私は金銭的に大変だった時期と精神的に大変だった時期があったのですが、精神的に辛かった時期の方が圧倒的にダメージが大きかったです。
    生きている意味がないだけじゃなく自分の存在が有害なものの様に感じていました。
    こんなに辛いのなら死んでしまった方がずっと楽なんじゃないかと何度も思いました。
    大きな規模で考えたら自分の苦痛なんて大したものではなくて、生きたくても病気や事故で死んでしまう人もいる事を考えたら申し訳ない気持ちもあったけれど、
    体が普通に生きているのが不思議なくらい気持ちは酸欠状態でいっぱいいっぱいだったと思います。
    私は高校卒業と同時にその辛い環境から逃げました。
    でもお金が全くないので、学校に通いながら空いた時間は全部バイトで、生活は苦しかったなぁ。働き過ぎて体を壊した時期もありました(笑)。
    この時期は将来の不安とかあったけれど、お金がないから選択肢は多くないけれど
    何をするのも自分の判断でできる、やりたい事が出来ることが嬉しくて仕方なかったなぁ。
    今も裕福ではないし、悩みだってあるけれど本当に普通です。
    でも、当時の自分からしたら滅茶苦茶幸せなんだろうと思います。
    私も人生楽しんだ方が絶対にいいと思います!
    気持ちが満たされてると周囲に対してもやさしい気持ちになれます。
    もう、すさんだあの頃には戻らないぞぉぉぉぉ!!!
    よわはださんの事も陰ながら応援しております(“´∀`)b

  8. 匿名 より:

    死ぬまでに少しでも沢山楽しむ事が幸せだとするなら、一番不幸な事って死ぬまで楽しみを見出だせない人生に陥る事なんだと思います。幸せになるべく動くのか、不幸にならぬ様動くのか、ベクトルは一緒でも手段や結果は大きく変わる物だと思います。
    幸福を追求する事は人生を潤わせる大事な手段ですが、時には不幸にならない生き方を考えるのもいいのかもしれません。
    説教臭くて申し訳ないです。健康と職だけは損ねない様気をつけて下さい。応援しています。

  9. 匿名 より:

    俺が思うことは、もっともっと単純で人の心の動きの全ては、生きてきた経験(現実)への通常の反応だと思います、跳ね返しようのないつらい現実にぶつかったときに、ぶっ壊れないように(不安に支配されて死なないように)妄想の領域があるのだと思う、ただ人間は自己暗示にかかりやすいから妄想から抜けられなくなる人もいる、そこから抜けるにはどんな話でもまともに取り合って聞いてくれる人が必要、本来は親がその役目をするものなんですけどね、子供が不安から生み出す妄想を聞いて受け止めてあげる、その経験があれば先の人生不安に取り付かれずに自分の中で解消しながら困難に立ち向かっていける人間になるのだと思う

    • 匿名2 より:

      例えば親から受け止めてもらえず、困難に立ち向かっていけない大人になってしまった場合。匿名さんは、この人になんてアドバイスされますか??

      • 横からごめんなさい。トントン より:

        横から失礼します。例えば親から子どもに与えなければならない愛情の種類が100コあるとします。ありのままの子どもを愛していることを親は子どもに伝えることができませんでした。他にも上手くいかなくて100コのうち20コの不足があるとします。不足した分は人は成長しながら自分で無意識のうちに埋めようとするそうです。人間関係すべてに絶望するくらい辛いなら1人で抱えこまずに受診してみて欲しいです。

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