損得勘定で行動すると自分は何がしたいのかわからなくなる

”若いころから損得勘定で行動しない方がいい”

わたしが高校生だった頃の英語教師は、授業の余った数分を使ってこんなことを話してくれました。

今の私もそうですが、当時のわたしはまだまだ人生経験も浅く、損得勘定が具体的にどういったものであるのかも実際のところ良く分かっていませんでした。そのころは「そうなんだぁ」くらいにしか考えていなかったんですよね。

ですが、最近このことばを思い出すことが多くなったんですよ。今になってやっと英語教師が言わんとしていたことが分かったような気がします。

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損得勘定は自分の純粋な欲望を喪失させる

ふと気付けば、わたしは損得勘定で行動するようになっていました。だってそうじゃないと、生きていけないんですもん。経済的にもボロボロ、精神的にもボロボロ。こんな状態では感情を押し殺して損得勘定を働かせないと生きていけませんでした。

何をするにしても、それをして何か意味があるのか、自分は得するのか、それは将来利益を生むだろうかとそんなことばかり考えてしまいます。

そういう考え方は将来的には意味があるんだろうけれど、効率的に利益を作っていくんだろうけれど、次第に自分が本当にしたいことが分からなくなるんです。気付いたときには、何かを選択するときの基準がすべて「損なのか得なのか」ということなになってしまっているんです。

本来なら楽しいことでも、「それ意味あるの?」と自然と問いただしてしまい、利益を生みそうになければ楽しいことでも苦痛になってしまうんですよ。

たとえば、歌うのが好きでカラオケに通い始めるようになったとします。しかし、日常にはたくさんの”やらなければいけないこと”がわたし達を取り巻いています。学生なら勉強や部活動。社会人なら仕事や子育て、介護や人付き合い。

損得勘定で考えるという事は、そんなたくさんの”やらなければいけないこと”にせかされ追われ続ける生活の中で、お店に行ってカラオケを楽しんでていいのか、カラオケで歌うことに何の意味があるのか、そもそもこれは何を生み出すのだろうか、よくよく考えると時間の無駄なだけで意味なんてないんじゃないだろうか、とグルグル思考の渦に飲み込まれてしまうようになるんです。

こんなことを考え始めると、カラオケで歌っていても楽しくなくなります。そして、歌うことが好きなのかどうかも分からなくなってきます。

自分の好きでやってきたことがすべて損得勘定に飲み込まれてしまうんです。こんなことを繰り返して、結局自分は何がしたいのかわからなくなっていくんです。

今やっていることに意味はなくても、それが点となりいずれは線となり人生を描く

私は時々、「今こうやってブログを書いていて意味があるのだろうか」「記事を書くためにゲームばかりしていていいのか」「動画を投稿するためにゲームの腕前を磨いてばかりでいいのか」なんてことを考えたりします。

ですが、人ひとりの行動に意味を求めるのは、突き詰めれば人が存在する意味はあるのかというところにつながっていきます。そんなことを考えること自体が無意味に近いんです。

今やっていることに意味を見出せなくても、そこに「やりたい」「したい」が含まれているのであれば、それが点となり、いずれは点と点がつながって線を結び人生を描いていくんだと思います。

損得勘定で行動するのではなく、「楽しい」「やりたい」を中心に行動していけば、何か見えてくるものがあるんじゃないかと思うんです。

もし何か見えてこなかったとしても、自分の感情を殺して損得勘定で歩いてきた人生よりも、「楽しい」「やりたい」がたくさん詰まった人生の方が絶対面白いはずです。

とにかく、今の私にできることは自分の「やりたい」をどんどんやっていくことだと思います。一つ一つが本当にやりたいことではなくても、自分の本当にやりたいことを見つけるために目の前のことにだけ目を向けることにします。

将来のことばかり考えて生きていたら、死ぬまで今を生きることなんてできないんですから。

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コメント

  1. 匿名 より:

    ブログ読んで元気貰いました!
    ありがとうございます!

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